大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和25年(あ)1068号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人辻喜巳衞の上告趣旨は、末尾に添えた別紙記載の通りである。

(一)  論旨第一点は、本件第一審判決は判示の第一および第二の両犯罪事実を通じ一括して十点の証拠の標目示すに止まり、そのうちのいかなる証拠により第一の犯罪事実をまたいかなる証拠により第二の犯罪事実を認めたのか全然知ることができず、結局第一審判決は右第一第二各犯罪事実を認めるに至った理由を明かにしていないことに帰するから、弁護人は右の点を控訴の理由として主張したところ、原判決はその論旨を排斥したが右原判示は昭和二十四年(を)新第一〇三一号同年八月二十三日東京高等裁判所判決の要旨に反する、というのである。そしてこの点については最高裁判所の判例はないのであるから、刑訴法第四〇五条により、右論旨は上告の理由になる。ところで右東京高等裁判所判決は『数個の独立せる事実認定の証拠を挙示するにあたっては各事実毎にこれを認めた証拠の標目を示さなければならない。数個の独立せる事実の認定にその採用した証拠を区別を示さず漫然羅列するのは違法である。』と判示しているゆえ、本件第一審判決は右判例に反するもの言い得よう。

(二)そこで右東京高等裁判所判例の当否が問題となるのであるが、右判決は刑訴法第三三五条第一項の解釈を示したものであるところ、同条同項が各犯罪事実により区別して証拠の標目を一々記載しなければならないとまでの厳格を要求するものとは考えられない。もちろんどの犯罪事実がどの証拠によって証明されるかということを知り得なくてはいけないが、それが無理なく知り得る場合には、一括標示がむしろ自然であって、各事実ごとに一々挙証をくりかえさねばならぬということは不要でありまた不便である。すなわち問題の判決は形式的厳格に行き過ぎているというのでもあろうか、高等裁判所判例集は右判決の論旨を

『有罪の言渡をするには、どの証拠でどの犯罪事実を認めたかを明かにする必要がある。数個の犯罪事実の証拠として数多の証拠の標目を一括して掲げてある場合に、どの証拠でどの犯罪を認めたかが判文上明かでないときは違法である。』

と表示した。この要旨が果して判決の本文と完全に符合するかどうか、多少の疑問があるが、少くもこの程度に緩和しなくては実際に動かないと見たのであろう。すなわちこの判決要旨を裏から言えば、どの証拠でどの犯罪を認めたかが判文上明かであれば証拠の標目の一括標示も苦しからず、とういうことになるのである。

(三)  そこで問題になるのは、右判決要旨中「判文上明かでないときは」の一句である。これをまた厳格に解釈して、判文だけで明かでなければいけない、ということにしては、殊に人的証拠にあっては考えられないところであり、單に実際上不可能であり得るばかりでなく、刑訴法第三三五条第一項が証拠は標目のみを掲げて可なりとした精神にそわない、とも言い得る。標目を掲げればよろしいというのは、標目によって記録から証拠資料を検出し得るからである。それゆえ前記判決要旨の「判文上明かでないときは」の一句を「判文を記録と照らし合わせても明かでないときは」と解するならば、刑訴法第三三五条第一項の解釈として適切であると考える。もし右高等裁判所判決をそこまで緩和して解釈することができるならば、本件原判決は右判例に違反しないと言い得るが、もしそうでないならば判例は右のごとく修正せらるべきである。論旨は「公訴不可分の原則」「一事不再理の原則」「起訴状における訴因並に罰条の特定」「公判における審理の範囲が訴因に依り拘束を受け居ること」「冐頭陳述が訴因を構成する具体的犯罪事実の凡ての要素に渉つて為さるべきこと」等を挙げ、これらのことから当然証拠説明の個別化が導かれると主張するけれども、それらとこれとは別問題であって、前者から後者が必然的に要求される筋合のものではない。要するに、証拠説明は、記録と照らし合せて見てどの証拠でどの犯罪事実を認めたかが明かにされていれば足ると言うべきである。

(四)  そこで本件第一審判決が同判示第一および第二の事実の証拠として標目を一括列記したところを記録と照らし合わせて見ると、

(1)(2)は右両事実に関するもの

(3)(4)は第二の虚僞公文書作成の事実に関するもの

(5)は第一および第二(たゞし虚偽公文書作成の事実を除く)に関するもの

(7)(9)(10)は虚偽公文書作成ならびに行使の事実に関するもの

(8)は第二の詐欺に関するもの

であることがわかる。(6)の書面は当裁判所に送致されていないが、その性質上全事実に関する情況証拠であると認められる。すなわち本件第一審判決は証拠の標目を一括挙示しているけれども、従って判文上は証拠と事実との関連性は明かでないが記録と照らし合せてみれば、どの証拠によってどの事実が認定されたか極めて明白である。しかも第一の事実と第二の事実とは発展的に遂行されたものであって、証拠も共通のものが多いばかりでなく、一方の事実に関する証拠は間接に他の事実についても情況証拠になっているとも見られないことはない。従って本件においては一と第二の事実につき一括して証拠を挙示することがむしろ自然であると思われるのであって、原判決が論旨援用の判例に反する判断をしたものとしても本件のような事案については原判決の証拠の標目挙示は刑訴法第三一七条および第三三五条第一項の趣旨に反するものでないと思う。原判決が証拠標目の区分挙示を必要とするいう控訴論旨第二点に対し「原判示の各事実はその挙示の各証拠によって十分にこれを認定することができるのであるから」とのみ答えたのは、いささか顧みて他を言つた形で説明不充分のそしりをまぬがれないが、結論は前記所論にほかならぬのであって、論旨は結局理由なきに帰する。

(五)  論旨第二点は量刑不当の主張であって、刑訴法第四〇五条による上告理由にならない。

なお、本件は刑訴法第四一一条を適用すべき事由も認められない。

よって、刑訴法第四〇八条に従い、主文の通り判決する。

以上は当小法廷裁判官全員一致の意見である。

(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例